こにちは。
皆さんはどんな宗教を信仰していますか?
アメリカにきて、きみは何を信じているの?って言われることが多いんで、今回は宗教について書いてみました。
抽象的なこともたくさん書いちゃったんで「何言ってんだこいつ」状態ですが、よかったら読んでもらえればー
ぼくは神道が結構すき
ぼくは家のお墓は仏教式ですが、神社にお参りにも行きますし、クリスマスも(1人で)ホールケーキを買って食べたりします。
こういう典型的な日本人の家庭で育ちましたが、ぼくは神道が結構好きです。
宗教をたずねられたら「Shinto」って答えることもあります。
いや、それほど神道を信じてるわけでもないですが、無宗教って答えると宗教の勧誘が始まったり「信じられなーい」ってなることもあるんで、
「一番好きなのは神道です」くらいの感じで答えてます。
でも、神道って神様がたくさんいるところがいいと思います。適当な感じでゆるくていいじゃないですか。
なんならキリストもブッダもムハンマドももうなんでもいいよってところが本音なのかもしれません。(てきとう)
キリスト教と同性愛について考えてみたよ
で、今日キリスト教と同性愛についてのブログを読んだんですが、そこにあった文章について気になったので、書いてみます。
ここに書いてあることを一部引用させてもらいます。
たとえば旧約聖書のレビ記に「女と寝るように男と寝てはならない」と記されてあります。これは当時の異教の世界で神殿にお参りした際に、少年の男娼と性交するという迷信的な慣習があったのです。少年が射精することが豊作(実り)の象徴となっていました。その迷信に対して、ユダヤ教側からの批判だったのです。
この時思ったのが、「少年の男娼が写生すると豊穣の象徴となる、っていうことが単なる迷信だと言える根拠はなんなんだろう。」ってことです。
ぼくにとっては「マリアが処女懐胎したっていうこと」や「夜に爪を切ると親の死に目に会えないっていうこと」と同じくらい根拠がないことだから、
逆にこっちがOKでこっちがアウトっていう基準がどこにあるんだろうと思ってしまう。
(聖書に書かれているかそうでないかの違いなんだろうけど。。。)
どっちも明確な根拠がない時点で否定はできないからこそ、この「ユダヤ教側からの批判」は価値観の押し付けなんじゃないかなぁ。。。
前提として少年の男娼を買うことがよくないことであるっていう倫理を広めようっていう気がします。
(現実問題性病の広がりや人権侵害の問題があったとしても、そこに宗教を利用してはいけないと思ってます。結局政治の道具にしてますよね)
倫理やマナーを宗教で語ってしまうとこういう歪みが生じます。
揚げ足取りみたいになってしまっていますが、ぼくは宗教って結局は人の作り出したもの(法律と同じで、解釈次第でいくらでも利用できる)だと思っているので、
こういうところが苦手です。
宗教的な考えが理解できないことが多い
正直なところ、ぼくは宗教的な考え方を理解できないことが多いです。
特にぼくは同性愛者なんで、宗教の聖典で同性愛について否定的なことが書いてあると特に受け入れがたいなーと思っちゃいます。
無神論者のエピクロスの言葉でこういうのを見つけました。
もし神が悪を妨げる意思はあっても力が無いなら全能ではない。
力はあるが意思が無いなら邪神である。
力も意思もあるなら悪はどこから来るのだろう。
力も意思もないなら、なぜ神と呼べるのだろう。
ほんとうに全知全能の神様がいるんなら、苦しいことがあった時に「これは試練だ」とか言わずに普通にその苦しいことを取り除いて欲しいんですよね。
もしその力があるのに助けようとしないのなら、どんだけドSなのって思っちゃいます。
ほんとうに神様がいるんなら、どっかの国で子どもが自分の母親の腕を切りおとさないといけないようなことが起きたりしちゃいけないんですよ。
そんでもって、傍観するだけの神様ならいてもいなくてもおんなじですよね。。。
人の形を取っていたりする必要もないし、概念としてただあるだけっていうのならまあそれはそれでいいですが、存在価値ある?って思っちゃいます。
結局は人の世の中をよくするのは人の力だと思ってます。(それが宗教の力を借りている場合もありますが、実際動いているのは人ですよね)
宗教の良い点と悪い点について
だけど、宗教って人が苦しい状態にあるときに救ってくれることもありますよね。
何かを信じるっていうことはその人にものすごい力を与えることができると同時に、
その力が間違った方向に向かうと簡単に恐ろしいことになります。
だから、宗教ってのはいい面と悪い面があります。
日本の軍国主義(天皇崇拝?)であろうと、イスラム教であろうとキリスト教であろうといい面と悪い面があると思います。
ただ、宗教が与えるエネルギーが大きすぎることは怖いなと思います。
個人で信じる分にはいいんですよ。だけど、みんなが同じことを信じるのが怖いんですね。
まあそれが宗教でもあるんですが。
でも、宗教を強く信じている人でも素晴らしい人がいることも知っています。
仲良くなった友達でも何人かは宗教を強く信じていて、いい人ももちろん多いです。
正直このあたりは自分の中でもむずかしいと思ってます。
すごく有用な道具だけど、使い方を間違えると危ないみたいな。。。
だけどそもそもその宗教の信仰自体が生きる目的となっている人もいて、まあ確かに人が生きること自体に特別な意味はなくて、どういう理由付けをするかはその人次第なので、信仰が生きる目的というのもありなのかなあと思ったり。
結局はわかりあえない
まー宗教論は堂々巡りになることが多いですねー。これだけ何千年もお互い否定しあってキリがないのがそれを証明してますね。。。
以前知り合いのフィリピン人と会話した時は、地動説や進化論を信じられないっていう人もいました。
その人は大学でバイオテクノロジー勉強してるのにですよ!
この「信じられない!」って感じがわかりあえないっていう事実なのかなと思います。
でもわかりあえなくていいのかもしんないですね。
そもそもわかりあえると期待するから適切な距離を保てなくなるんで、わかりあえないなりに知り合えればいいのかなと思ってます。
社畜論争とかもそうですよね。会社好きな人は大好きですし、耐えられない人は全然ダメ。(ぼくは結構耐えられません。)
デリケートな話題について
こういうデリケートな話題について、どこまで切り込んで書こうかっていうのは毎回悩みます。
研究者でもないから間違った知識であることも往々にしてありますしね。
ただ、研究者並みの知識がなければモノ書いちゃいけないってわけでもないからホドホドにして書いちゃえーって思っとります。
倫理的に問題ありそうなことってかくの躊躇する人が多いと思うんですけど、もっとみんながたくさん書いたらおもしろいなー。
宗教と違ってどうせ個人の思いなんで、みんなが同じこと信じる必要ないですからね。
今日はこのあたりでー。
コメント