こんにちは。ぐへぐへ(@guhe46)です。
最近性的指向と性的嗜好についていろいろ思うところがあったのでまとめてみました。
まとめてたらカミングアウトにまで話が進んでったんでそっちについてもまとめてみました。
性的指向と性的嗜好って?- 性的指向と性的嗜好は違うもの?
- 定義はどうなってんの?
- 性的指向と性的嗜好を一緒にしないでほしいっていうのはどうなんだろう
- 石田衣良の短編で読んだお話
- カミングアウトについて
- まとめ・文脈を考えよう
- まとめ2
性的指向と性的嗜好って?
一般的に性的指向は自分の好きな人の属性が男か女か(またはその他か)で、性的嗜好はどんなフェチかっていう感じで使われることが多いですね。
性的指向→好きになる人が男か女かまたはそれ以外のなにかか。性的対象。
性的嗜好→好きなシチュエーションやプレイ内容、縄が好きとか小さい子が好きとかみたいないわゆる「趣味」と言われそうな分類になるのでしょうか。
性的指向と性的嗜好は違うもの?
上記の分類がゆるいな〜と思った人は正解です。(ぼくが)分類できてないです。
分類できないからです。性的嗜好と性的指向の定義が曖昧だからですね。
定義はどうなってんの?
頭がこんがらがってきたんで性的嗜好と性的指向についてwikiで調べてみました。
性的嗜好
性的嗜好(せいてきしこう、英語: sexual preference)とは、人間の性的行動において、対象や目的について、その人固有の特徴のある方向性や様式を意味する。すなわち、対象や行動目標において特定の好みやこだわりが存在する場合、何らかの性的嗜好を持つと表現できる。ただし、根本的な対象の性別についての方向性に関しては特に性的指向と呼び、通常は性的嗜好には含めず分けて扱う。
──Wikipedia「性的嗜好」
性的指向
性的指向(せいてきしこう)(英: Sexual Orientation)は、いずれの性別を恋愛や性愛の対象とするかをいう、人間の根本的な性傾向のことを指し、性的指向ともいう。無意識に形成されるとされ、大きく「異性愛」、「同性愛」、「両性愛」に分類される。性的指向を持たない場合は「無性愛」となり、これを便宜的に性的指向の中に分類する場合もある。
性別以外の性欲に関係する好みを表す性的嗜好とは別である。 両者の混同が見られる一因に、口語の音が同じことが挙げられる。なお、性的志向という言葉はなく、嗜好か指向を表そうとした際の誤りと思われる。
──Wikipedia「性的指向」
その人固有の?人間の根本的な性傾向っていうと数で言えば8〜9割を占める異性愛?同性愛は多くの動物の間で(各種類毎では数は少ないけど)見られる傾向のようだけど?何をもって根本的とするのか?性的嗜好も無意識に形成されるのでは?無機物に性欲を抱く場合は?
いろいろ明確に決めづらい部分が出てきてますね。
ただ、結局こういう分け方はあまりよくないんじゃないかな〜っと思ってます。
世の中に完璧な男性、完璧な女性は存在しなくて、実際は男性らしいシンボルとか女性らしい属性みたいなものがあってそれで男女っていうのを分けていると思います。
女性らしい服装(ナース服とか)とかも記号でしょ?スカトロはよくわからん。
でも多分理由はあると思う。
性的指向と性的嗜好を一緒にしないでほしいっていうのはどうなんだろう
そいでもって「性的指向と性的嗜好を一緒にしないでほしい」っていう意見があります。
ぼくも最近までそういうふうに思っていたんですが、このTwitterまとめを読んで、そうでもないのかなと思うようになりました。
ただ、ここまでくると広い意味では性的指向と性的嗜好は重なる部分があるけど、狭い意味では違うものって感じになってくるんでしょーね。
石田衣良の短編で読んだお話
ちょっと話が変わります。
ご存知の方は少ないかもしれませんが、石田衣良の『LAST』という短編集があります。
その中に『LAST SHOOT』という作品があるんですが、小児性愛の外科医を描いたお話です。
ものすごく優秀な外科医で何人もの命を救っているけど、性的な対象は少女(ときに少年)。
彼はベトナムで年端の行かない少女や少年を買って自分の性欲を発散しています。
もちろん彼がやっていることはその少年少女たちの人権を踏みにじっているので、最低の行為です。刑によって裁かれるべきだし、罪は償うべきでしょう。(オチは言いませんが)
ですが、彼の欲望自体が否定されなければいけないんでしょうか。そうしたら、彼はその欲望を抱いた瞬間から自分自身を否定されることになります。
臭いものにはフタをすればいいのか
ぼくがいいたいことは、性的指向だからOKだけど性的嗜好はダメっていうのはちがうんじゃないかなってことです。
同性愛は良くて小児性愛はダメなんてことはありません。
他者の権利を否定するからいけないのであって、異性愛も同性愛も小児性愛もその点では同列に語られるべきです。
だからこそ軽蔑するだけで話を終えてはいけないと思っています。
彼らは欲望を抱きたくて抱いているわけではありません。その欲望は多様性の形の一つとして生まれています。
カミングアウトについて
臭いものにフタをしないで、向き合いたいっていうと、少し違うかもしれませんが、ぼくは深いつきあいになるのなら、なるべくカミングアウトはしときたいなと思ってます。
もし同性愛について認めることができる人がある程度いて、カミングアウトによって自分が他人とコミュニケーションを取りやすくなるなら、その方がいいかなと・・・。
逆に自分に嘘をついてまで偽っても他人と深い仲は作れないと思ってます。今までの経験上。結局自分から壁を作ってしまうことが多かった気がします。
もし自分の本当に好きなものを明言した際に、友人が離れていくかもしれないと考えながら人付き合いをしていくのってとても負担が多いので、偉そうですが、カミングアウトがスクリーニングの役割もしています。
そんでこれはよく言われるかと思うんですが、
「自分がゲイかどうか」って「プライベート過ぎて隠しておくべきこと」ではないと思います。
「彼女いるの?」「結婚してるの?」って普通によく聞かれるし、自分がゲイであるかどうかってその程度のことだと思います。
というか、「ゲイであるかどうかが大したことでない」世の中になってほしい。
性的指向、嗜好、そんでカミングアウトについて自分の意見をまとめておきたかったので書きました。
特に「『性的指向』を(職場やらで)他人に語る必要があるのか?」っていう意見を見ることがあったんで、ぼくは「語らなくてもいいけど、気軽に語れる世の中になってほしいなあ」と思ったため、その理由をいろいろ考えました。
『ただ好きであること』は受け入れたい
世の中において「コレは良くてコレはダメ」の基準は当事者が権利を否定されているかされていないかってところにあります。
性的指向はよくて性的嗜好はだめっていう分類は意味がないと思ってます。
ただ、最終的には多くの人が認められるか(受け入れられるか)くらいしか違いはないですよね。
だから、例えばネクロフィリア(死体に性欲を抱く人)がたいていの人に受け入れられないのなら、なるべくそれは隠しておいたほうがいいでしょう。
それでも、ぼくは「ネクロフィリアだってオッケーだよ」って言いたいですけどね。
だってその人だって選んで死体を好きになったわけじゃないでしょ。いつの間にか死体が好きだったんでしょ。幼女だって少年だって同じでしょ。多様性でしょ。人類のリスクヘッジでしょ。
だからぼくは『ただ好きであること』は受け入れたいです。
2021年加筆・修正しました・・・。だいぶ書き換えました(笑
ブログを整理しようと思い立って、3年前に書いた記事をほりおこして、読んでみました。
これは恥ずかしい・・・(汗
というか、ずいぶん刺々しい文章を書いていたな、と思います。
当時は「ゲイであること」でうまく行かない(という風に思い込んでいた)ことが多かった気がします。
実際に「ゲイであること」は結構なハンデになるという場所も多かったですが、今思うことは、自分が動けばいくらでも環境を変えられるってことです。
当時の自分に教えてあげられたらな〜と思いました。それでは。
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